2011年2月に来日ツアーを行うデトロイトのベテランDJテレンス・パーカーに、 来日前にメールを通じてインタビューを行いました。 どうやってデトロイトという街であのポジティブな音楽を30年間も続ける事が できているのか?そして世界中でDJプレーする彼は、どんなメッセージを 世界中の人に伝えようとしているのか? そんな私の疑問にまっすぐに答えてくれました。 聞き手・訳:Maehara
Motomitsu (cafe the eel & eel books) はじめに、DJ30周年おめでとうございます! --------------------------------------------------------- 1.幼年時代 幼少時代についてお聞かせください。今、デトロイトで生活を送っているとのこと ですが、どちらで生まれ育ち、どんな幼少時代を送っていましたか? そして、あなたが初めて音楽に触れた時のことを覚えていたら教えてください。
TP.私は、デトロイトで生まれ育ちました。それはとても幸せな幼年時代でした。 自転車に乗ったり、バスケットボールや野球をして多くの時間を過ごしました。 音楽に最初に触れた時の事は覚えていません。なぜかというと、音楽はいつでも 私の人生の一部であったので。しかし、初めて音楽(曲)を認識したのは “Brainstorm
の Lovin Is Really
MyGame”と言えるでしょう。
6歳か7歳の頃に父と兄とレコードショップに行った事や、両親が45回転のレコードを たくさん集めていたことを覚えています。週末になると私たちが宿題をやったり、 ゲームをして遊んでいた時に、両親は様々な音楽をレコードでかけていました。 モータウン、フィリーソウル、ゴスペル、クラシック、ジャズ、“Credence
Clearwater
Revival”の様なブルーグラスロックまで幅広く。 このようなスタイルにとても深く影響を受けています。 --------------------------------------------------------- 2.デトロイトについて 私はデトロイトについて、学校で習った自動車産業を中心とした街だという事と、 デトロイトの音楽を通してでしか想像することしかできません。デトロイトという街 について教えてもらえますか?
TP.デトロイトは、今も昔も工業都市です。自動車産業の街として知られる前は、 ストーブ産業で有名でした。ミシガン・ストーブ・カンパニーはデトロイト・ストーブ・ カンパニーとしても知られ、巨大なストーブを作りました。それは長い間、ここデト ロイトで有名なランドマークでした。
デトロイトは地理的に200万の人々が生活のできる広さのある街ですが、現在の 人口は85万人程度です。減少の理由は、2007,2008年の住宅危機、経済危機、 自動車産業の打撃により、たくさんの人々が街を去っていったからです。 地元アーティスト達にとっても非常に厳しい状況が続いたのは、言うまでもありません。 しかしながら、デトロイトのアーティスト達はそんな都市闘争の厳しい時間を共有して きました。
そして2010年の現在、デトロイトの自動車産業は、息を吹き返しはじめました。 私は、デトロイトの状況は、今後改善されていくと思います。全てのものが、 丘を上って行く様に、全般的な生活の質の改善には時間がかかるでしょう。 しかし、神は良い方向へ状況を変える事ができるということを知って欲しいのです。 --------------------------------------------------------- 3.デトロイトの音楽について デトロイトの音楽について教えて頂けますか? デトロイトはブラックミュージックとポピュラーミュージックの歴史においても有名ですね。 地元アーティストとの交友もあれば教えていただけますか?
TP.デトロイトで生まれた音楽は、世界的にみても非常に価値があり、伝説的と 言えるでしょう。私は個人的にとりわけ、デトロイトでテクノ、ハウス、また多様な電子 音楽を製作をしているアーティスト達と、友好関係を築いています。 例えば、Don
Was, Dennis Coffey, J Dilla
(R.I.P)、と、数え切れないほど。ジャズから ゴスペル、ヒップホップ、R&B/SOUL、と、デトロイトのサウンドは、とてもユニークです。 --------------------------------------------------------- 4.変化 あなたは一度DJ活動をやめて、とても宗教的な人になったと聞きましたが、 本当ですか?何があなたの心を変えたのですか?
TP.はい。本当です。 何ヶ月もの間、適切な人生に身を置く為に、私はDJをする事をやめました。 私はキリスト教の教会で育てられ、イエスキリストを信じました。 しかし、私は2002年の7月21日まで、私の主、救い主として彼を受け入れる事が できませんでした。この時まで、私は人生の多くの物事(DJのキャリアを含む)が 私の努力による結果であると考えていた為に、神は私の人生の全ての物事を可能に するということを、人生のこの時まで実感することができませんでした。
私は常に良い人間であると自分自身のことを考えていました。しかし、私が見落と していた根本的な事柄は、神との関係でした。なので私は適切な優先順位をつける 必要に迫られました。神が一番で、家族が二番、全てのものは、この後に続きます。 私の人生に神が起こす素晴らしい事柄に感謝します。 私は、キリストとの関係により、より良い人間でいられます。 --------------------------------------------------------- 5.未来と希望 私たちの音楽、この地球、人間の未来についてどうお考えですか? そして、30年間のキャリアを積んだあなたの今後のヴィジョンをお聞かせください。
TP.私は未来を楽しみにしています。もっと大きく、もっとよい方向に進んで行くでしょう。 私は、神が許す限りの長い間、DJを続けていくでしょう。そして、神が私の音楽や 人生にどんな扉を開いてくれるのかと、私自身とても興奮しています。 ---------------------------------------------------------- 6.日本について、
2010年7月に行われた来日ツアーは、いかがでしたか? 来年2月に再び来日するとの事で、とても楽しみにしています。
TP.日本滞在はとても楽しかったです。2010年の来日では、江ノ島「BEACH
HOUSE」、 東京「Eleven」京都「Metro」でプレイし、とても素晴らしい体験が出来ました。 私は世界中のたくさんの場所でプレイしてきましたが、日本は大好きな場所です。 --------------------------------------------------------- 7.メッセージ 最後に日本のオーディエンスにメッセージをお願いします。
TP.日本にいるすべての素晴らしい仲間、ファンのみなさん、こんにちは! 再び、みなさんに会える事を楽しみにしています!パーティーでは素晴らしい音楽を 共有して楽しみましょう!(※浜松での開催は、初めてになります。)
どうもありがとうございました。 お会いできる日を楽しみにしています。 日本ツアーでお会いしましょう! --------------------------------------------------------- 2010年12月18日
Terrence
Parker http://www.terrenceparkermusic.com/
聞き手・訳:Maehara
Motomitsu (cafe the eel & eel books) http://www.cafetheeel.com
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